サロンオーナーの自己紹介

名前: 445(よんよんご)

この記事では、445FXサロンを主催する、私、445のトレーダー人生の全てをご紹介してゆきたいと思います。

445がトレーダーを目指したきっかけと理由

初めて為替取引に触れたのが、2004年初頭。

ユーロの現物買い1往復のスイングトレードで+120万円を得るも、基本的にギャンブラーではない私は、ビギナーズラックを認めて勝ち逃げをしておきました。

以前から、投資をやっている経営者仲間に、「あなたはトレーダー向きの性格だからトレードをやった方がいい」と勧められていましたが、その勧めてくれる人たちが勝っている様子もなく、むしろ博打的な人生を送っているので、一切耳を貸すことはありませんでした。

かれこれ時を経て、2010年秋。

信頼のおける人物から「トレードは心の修行に最適なので、いっしょに学びませんか?」と誘われたのをきっかけに、
「この人が言うからには、実はトレードってギャンブルではないのかも」と考えを切り替え、トレードを学び始めたという、きっと珍しいタイプのトレーダーです。

そう、お金ではないところからスタートしました。

しかも「デモで勝てるようになるまでリアルをやらないこと」という約束を守り、手法ははじめ、ボリンジャーバンドを使うもの1つだけを1年半、学び続けました。

その間、トレード精神論だけでなく、脳科学、認知科学、スピリチュアル、自己啓発、メンタルトレーニング等々、あらゆる角度からの勉強を並行して行い、結局どのジャンルも言い回しが違うだけで、まったく同じことを言っていることに気がつきました。

相場はまさに、その気づいたものがダイレクトに表れる世界だったのです。

トレードの勉強に熱中した時代

最初の2年間は毎日平均10時間は相場の勉強に充てていましたが、まったく苦ではなく、むしろ勝てない期間すら楽しく、チャートを見ない日など一日たりとありませんでした。

どうやってその時間を捻出したのかというと、まず、トレードの話ができない人とは一切リアルで会わなくなりました。

トレードに関係ないことに時間を割くのは無駄と感じたからです。

頭の回転や記憶の定着をよくするためにも、睡眠時間は逆にしっかり取るようにしたので、その分食事は一日一食にして睡眠時間に回しました。(その習慣は今でも継続中)

同じ理由で、毎日飲んでいたお酒を、ぜんぜん飲みたくもなくなり、ひたすら相場に向かう日々を送りました。

今思い返してもあれは、大恋愛の感覚そのものだったと思います。

700名以上在籍のトレーダーズSNSで鍛えられる

私が学んだ最初で最後の手法「A式(仮名)」の師匠であるAさんが主宰するA式SNSに入会したのが、2011年春。

ここに入るための条件に、身分証明証をAさんに送って身元を明らかにしなければならないにも関わらず、700人以上のトレーダーが集まりました。

ただし、SNSの活動期限は6カ月。

デッドラインも決められていたことから、大多数の参加者は死に物狂いで勉強していたという印象があります。

700人もいればグループがいくつも出来、それぞれが自主的に勉強会を行ったり、グループ間の交流も盛んに行われ、毎日が祭りであり戦場であり、なにより、孤独な仕事であるはずのトレーダーに仲間ができたことで、たった一人の小さな頭で考える30倍は知識の吸収量が加速しました。

志を同じくする仲間が大勢いたことで、勝てない辛い時期でもモチベーションの維持が出来ていたと思います。

中にはすでに勝ち組の人も存在し、在籍中に頭角を現してくる人もおり、勝ち組トレーダーを目の当たりにすることで、トレードでの成功を現実的に感じることが出来ました。

師匠のみならず、学ぶべき人物が相当数いたという素晴らしい環境のA式SNSのレベルの高さは尋常ではなく、月間400pipsでやっと初心者レベルという扱いでした。
1,000pipsを超えてやっと、出来る方、という印象になります。

師匠のAさんは、月間3000pips超えで、この年に稼ぎ出した金額は8億円ほどだったと記憶しています。

恐ろしいことに、月間1~2万pipsというモンスタートレーダーも現れる始末です。

かく言う私は、マックスで600pipsくらいまででした。
それも瞬間風速的なので、アベレージ400は割っていたと思います。実に中途半端です。

とは言え、デモで勝てるようになったので、リアルトレードに移行するタイミングが訪れました!

がしかし、今までプラスだったものが、マイナスに。。。

どういうことかといいますと、反応取りスキャルをやっていたため、デモで1トレード1~3pipsづつ得ていた利益が、リアルでは思うように約定せず、つまり、滑って建値かマイナスで決済されるようになってしまい、「もっと利を伸ばすやり方に変えないといけない」ことに気が付き、再びデモに戻して勉強し直すことになりました。

誤解を生まないように書き添えておきますが、師匠のAさんはしっかり利を伸ばすトレーダーでしたので、私は欲と恐怖から早期利食いを繰り返していただけということになります。

プロトレーダーとしてのメンタルが出来ていたわけではなく、たまたま勝ち越せていただけだったのです。

この経験があったからこそ、デモで2カ月連続200pips以上獲得か、6カ月連続プラス収支獲得を私の門下生に義務づけるようになったわけです。

当時私は、トレードの勉強を始めて一年未満という初心者ではありましたが、SNS内での書き込みや活動が師匠のAさんを始め、メンバーの方々に認められるところとなり、後半はAさんの代行でA式を教える側に立つ、フォロワーという役割を頂くことになりました。(40名ほど選出)

人に教えるわけですから、自分のためだけに学んでいるのとはスタンスが大きく違ってきます。
この経験が、より一層、私をトレードの勉強に励ませることになりました。

手法発見!

その甲斐あってか、ある日突然インスピレーションが降ってきて、今までにない相場の分析法が視えてしまったのです!

A式の活動期間も終了し、それぞれのフィールドに戻ってまもなく、A式からの流れの勉強会(オンライン)にゲストで呼ばれた日のことです。

たまたまパーフェクトオーダーの話題になった流れで、一番最初に視えたのが、「ファンライン」でした。

次に、「12本の移動平均線の束」が視えました。

次に、「転換の形の定義」が視えました。

その日から数日間で次々と、相場の動きを数値化、明文化するインスピレーションが頭の中に流れ込んでくるという、奇妙な体験をしました。

トレーダー仲間にも、その様子を同時進行で公表してゆきました。

これが、12本のMA、ファンライン、転換の形、フィボナッチ、ゾーンを使った、レンジもトレンドもすべて対応可能な「445式手法」の始まりです。

実際に具体的な数字までもが視えてしまったので、本当にそれが正しいのか?を、当時ユーロ円・ユーロドルの2通貨ペア分を1分足レベルで10年分過去にさかのぼって検証作業をしました。
テスターを7000回以上は回しました。
期間にして半年はかかりました。

果たして勝率90%超えのパフォーマンスがあることの確証を数字の上で得、いざリアルタイムでデモトレードを行ってみると。。。。。。。

プロトレーダーとしてのメンタルが出来ていなかったから

まったく勝てず。

手法が間違っているのではなく、ポジションを持つとメンタルにブレが起きてしまい、ルール通りに執行できないのです。

なんと、そんな期間がそれから2年も続きました。

他人の手法ではなく、自分で編み出し、データというエビデンスをしっかり取ったものなのに、です。

お金ではないところからスタートしたはずなのに、お金に振り回されている状態でした。

この苦すぎる経験から、トレードは分析能力より、メンタル(心)の方が重要なのだと心底理解しました。

実は当初、「自分はメンタルができている」と思い込んでおり、「半年も勉強すれば稼げるようになるだろう」と高をくくっていました。

それだけに、己のダメさ加減に鼻っ柱を折られるという経験をしました。自分って大したことないんだと思い知りました。

そんな経緯から、トレードは自分の性格と生活がそのまま反映されることを身をもって知るところとなり、それまでの悪しき習慣や考え方や行動は、トレードというフィルターを通して改善されたと言っても過言ではありません。

人生3度目の破産

かれこれ4年が経ち、勝ちを重ねるようになってきた頃合いに、なんと、本業の方で大きな失敗をしてしまい、売れる金品はすべて現金に代え、自宅マンションすら売却するほどの損失を被ってしまいました。

様々な事情で、財産を全てなくすという事態、人生で3度目の経験です。(前回は持ち家を手放しました・苦笑)

幼少のころから逆境慣れしている私なのですが、さすがに破産3度目はバカなんじゃないかと。。。

そんな私がそこから復活できたのは、トレードの技術があったからにほかなりません。

私にとっては、本業で手掛けていた内容の方がギャンブルだったという、笑えない人生展開を見ることになり、つくづくトレードは研究職として確立されたものだと感じた次第です。

門下生集まる!

話は少し前後しますが、2013年春にトレーダー4コマ漫画ブログを立ち上げました。

トレードがいい感じになってきたこともあり、心の余裕ができ、表現したいことがふつふつと湧いてきた発露といったイメージでしょうか。

元々私は絵を描く人なのですが、ペンタブレットでの作画に初挑戦したのがこの漫画ブログです。

それから1年が経ったくらいの時期、2014年春。

直接の知り合いやその紹介で、私からトレードを習いたいという人がぽつぽつ現れ始めました。

それまでは、一緒にトレードを学んでいる仲間同士という関係性で自分の手法を教えていたのですが、完全に生徒として習いに来るという潮流ができ始めたのがこの頃です。

当初はオン・オフラインのどちらのパターンもありでという状況でしたが、お互いのPC画面を共有する形の方が効率が良いことも分かり、現在のオンラインのみの講義に定着したのもこの後すぐです。

ブログのおかげで、まったく知り合いではない方からの申し込みも来るようになりました。

そして、2016年秋。

ブームに乗って、YOUTUBEチャンネルにトレード動画をupしだした一番の理由は、人のやらないことをやるのが好きなもので、「自分独自の手法を全公開」「未来の相場分析」「エントリーポイントとエグジットポイントを予告」を動画にして公開して、逃げ場のない状態を作り出し、自分自身の緊張感を高めるためにスタートしました。

言い換えると、トレード作業そのものにはなんの刺激もなくなってしまったので、別の刺激が欲しくなったのだと自己分析しています。

また、自分の知識を惜しまず放出することで、自分自身に恩恵が巡ってくるサイクルも知っていました。

YOUTUBEスタート時と今とでは、私自身のトレードスキルも大幅に違っていますから!

445FXサロン発足

現在でもですが、特に弟子募集はしたことがありません。
しかも、手法は動画で全て公開してしまっています。

それでも「直接445さんから習いたい!」という方からの問い合わせが徐々に増えてくるようになりました。

様々、条件の合う方のみ受け入れることにしまして、直弟子の人数は二桁に乗ったところになります。

直弟子の中にはIT系に強い方がいまして、その方のアドバイスで、独自ドメインを取ったり、445FX公式LINE@を始めるなどのアクションも起こすことができました。
トレード以外のジャンルを弟子の皆さんから、それぞれの得意分野によって教えてもらっているという感じです。本当にありがたいです。

そしてその445FX公式LINE@で、「445に今後何をやってもらいたいか?」というアンケートを取ったとき、「トレーダーズサロンを開催してほしい」という声が多数上がってきたことにより、この445FXサロンの発足を決めました。

私自身、過去の経験から、一緒に勉強するトレーダー仲間がいることの有用性と重要性をよく知っているので、同じ手法を学ぶ仲間が集まる場を作ることに、なんの疑問も抱きませんでした。

この445FXサロンがスタートしたのが、2019年2月末。

3月に入ったところで、直弟子たちが続々、免許皆伝の成績をたたき出すようになりました。

中にはたった2ヶ月で資金を10倍にした者もおり、トレーダーとしてという意味においては、弟子たちには私を上回る人が多いです。

そして私は相変わらず、他のYOUTUBEトレーダーがやらない、「生配信でトレードにまつわる内容を2時間しゃべりっぱなし」「エントリーポイントとエグジットポイントの予告をして、皆で一緒にトレード」をサロンのメイン業務として週一回ペースで放送しています。

相場の神様

私は、トレードの難しさも知っています。そして、
人生を支えてくれる頼もしい味方であることも知っています!

何より私には、相場の神様に愛されている実感があります。
そうじゃないと、他にない独自の手法が私の頭の中に降りてくるわけないですから。。。 

というのは、私の心の支えにしてきた言葉です。

本当は分かっています。

私にトレードを勧めてくれた人、一緒に学んでくれた人、教えてくれた人、教えさせてくれた人、トレーダーとしてかかわってくれた人だけじゃなく、協力してくれた家族や、私の人生すべてにかかわってくれた人たちのお陰なのだということを。

2019年4月(平成の最後に)

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